なるようになーれ

ぼけーっとしていると、ついつい、こんなことを考えたり書いてしまう。
書いたから一応残してはおくのだけれど、何でもいいから、やることを見つけないと。
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先週、片付けをしていて、買った記憶のないスーツを見つけた。
見つけた物は、三つボタンのスーツ。
自分が着た形跡はなさそうな感じ。
三つボタンのスーツは、これが初めて買ったものではなかろうか。
今まで着てきたのは二つボタンのものだし、今着ているのもそう。


それにしても、いつ買ったのか分からない。
全然思い出せない。
今までの人生で、こういうものが出てきたのは初めてだ。
これまでは大体、物を見たら「あー、あの時のあれか」と思い出せていたのだが。
これが、年を取るということか。

 

最近、年を取った親戚が、どんどん死んでいる。
具体的には、自分のおじさん・おばさんたち。
もういつ死んでもおかしくない年齢の人たち。
だから、彼らが死んでいくのは、意外でも何でもない。
単に、そういう時期が我が一族にも来たのだね、という印象しかない。

 

そうやって死んでいった親戚たちだが、耄碌した後に死んだ人は、あまりいない。
病気になってそのまま、あるいはしばらくして死んだ人が多い。
自分の家系は、がんの家系であるらしく、大抵はがんになって死ぬ。
自分もそう遠くないうちにそうなるのだろうね、きっと。

 

そんな中で、母方の祖父は、いわゆるぽっくり死んだ人。
それでも、死ぬ前にはすっかりボケ老人になっていたが。
ただ、そのボケ老人でも、昔やっていたこと自体は忘れていなかったようなのだよね。
祖父で言えば、絵の描き方は覚えていたみたい。
自分の場合だと、ボケ老人になった後に、何が残るのだろうか。
気難しくてわがままという、自分の核になっているものが、むき出しになるのだろうか。

 

何にせよ、いずれ主体的な自分は雲散霧消し、周囲の事象に脊髄反射で反応しながら、ただ単に生きているという状態になるのだろう。
昔、死ぬ直前の祖父を見ていて、ああなったなら、生きていることには何か意味があるのかと思っていた。
まあ、生きているという事象や現象そのものに、意味なんてありはしないのだ。
人間がそう意味付けしたいだけなのであって、意味なんて単なる後付けでしかないのだ。
自分は唯物論者なので、それが一番しっくりくる考え。

 

そんな感じで、生きていること自体に意味はないと思っているのは、今でも変わっていない。
でも、何というのかな、世間がそう簡単には死なせてはくれないのだ、ということも分かってきた。
死ぬ時は何だかんだで非常にあっさりと死ぬわけだけれど、その反面で、なかなか死なないし、死ねないし、死なせてくれない。
世間は、何だかんだで、生かそうとする。
生きているべき意味や理由を押し付けてくる。

 

今のところ、自分は死ねない。
この世からいなくなれない。
自分個人としては人生というものはもうどうでもよくて、積極的に生き続ける理由は特にない。
でも、周囲の状況がまだ生きていろと言ってくる。

 

例えば、自分がいなくなると、仕事で参加しているプロジェクトが変な方向を向く危険性がまだ残っていたりする。
プロジェクトが変な方向を向くと、金額的にも将来のリスク的にも、結構シャレにならない状況を、未来に残すことになる。
自分は今のプロジェクトが立ち上がった時からの初期メンバーなので、プロジェクトの実態をあるべき姿からブレさせない責任的なものがある。
資料や文章とかでそれを示したとしても、誰もそれを読まなければ意味はないから、誰かがうるさく語り続けないといけない。
ただ、その辺りがなんとかなって、プロジェクトの文化として定着したならば、自分の存在意義はないだろうとも思っている。

 

もう死んだ父親も、がんの治療後、肉体的には何とか動けるという状態が続いていた。
それでもしばらく生き続けていたのは、父親には心配なことがあったからだろう。
まあ、その心配事の対象者からしてみれば(対象者は明らかに自分ではない)、そういうことはあまりピンと来ていなかったようではあるが。
父親は力の及ぶ範囲で色々働きかけをしていたようだが、その相手には全然伝わらず、空回りをしていたようだ。

 

でもそういったことは、十中八九、勘違いだ。
単なる思い上がりや思い込みだ。
自分がいなくても、世の中というのは流れるべくして流れていくのだ。
前の会社を辞めた後も、所属していた部門には何も影響がなかったように。
両親が死んでも、自分には何も影響がなかったように。
事務的に淡々と葬儀の段取りを進めていく自分を見た周囲の人間は、自分を冷静な人間と見ていたのか、冷酷な人間と見ていたのか。

 

まあいいや、なるようになーれ。
ここまでつらつらと書いては見たけれど、結論的なものは何も出なかったし。
願わくば、死ぬ時はあっさり死ねますように。
中途半端な状態で生かされているという状態にはなりませんように。
生きているだけで周りに迷惑をかけ続ける、モンスター老人になりませんように。