知識と知恵

つらつらと、なんとなく考えたこと。
まあ、当たり前のことではある。
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知っていることの絶対量を増やすのは意味がある
複数領域の繋がりを理解するヒントにもなる
でも、短期記憶程度の刻まれ方しかされていない知識は、いずれ忘れる
興味がなければ、1分もしないうちに忘れる
まあ、知った時にすぐ復唱すると、さすがに1分では忘れない
そこから理由を知ると、忘れる時間を多少は伸ばせる
さらに理由に納得すると、もっと伸ばせる
後は、納得した理由を思い出す、あるいは再構築するトリガーになる言葉・キーワードだけ、覚えるかメモする
それは、自分だけが分かるキーワードでいい
というか、そうであるべき

 

他人の体験・経験・思い出は、他人のものでしかないから、印象が強くてもすぐ忘れる
比べて、自分の個人的な体験・経験・思い出は、そうそう忘れられるものではない
逆に、忘れたくても忘れられない
そこで強烈な体験をしていればなおさら

 

自分が忘れられないものは、長期記憶になっている
だから、長期記憶になっているものに、色々なものを紐付ければいい
とっかかりを思い出せたら、他は全部論理で繋げていけばいい
そうすれば、そもそも全体を暗記なり覚え込まずに済む
そういうインデックス化の仕組みが、知恵ではなかろうか

 

例えば、自分のプログラミングの原体験は、C言語アセンブリ言語(x86系)・Java
他のプログラミング言語は、それらからの±で覚えている
データベースの原体験はOracle
他のDBMSは、Oracleからの±で覚えている
他の分野も、大抵はそんな感じで、何かのベースからの±および論理による紐付け

 

長年生きていれば、いやでも体験は溜まっていく
それすなわち、紐付けられるものが増えていくということ
そういう観点からは、年を取るのも悪いことではないのかも

 

それに、今なら知識はすぐに検索できる
知識だけは大量に手に入る
これだけの情報量を手軽に得られるのは、人類史上初めての状況のはず
それらの知識の海に、素の人間が何も考えずに乗り出すと、迷うし溺れる
だからこそ、羅針盤としてのキーワードが重要である