つらつらと、なんとなく考えたこと。
まあ、当たり前のことではある。
----------------------------------------------------------
知っていることの絶対量を増やすのは意味がある。
複数領域の繋がりを理解するヒントにもなる。
でも、短期記憶程度の刻まれ方しかされていない知識は、いずれ忘れる。
興味がなければ、1分もしないうちに忘れる。
まあ、知った時にすぐ復唱すると、さすがに1分では忘れない。
そこから理由を知ると、忘れる時間を多少は伸ばせる。
さらに理由に納得すると、もっと伸ばせる。
後は、納得した理由を思い出す、あるいは再構築するトリガーになる言葉・キーワードだけ、覚えるかメモする。
それは、自分だけが分かるキーワードでいい。
というか、そうであるべき。
他人の体験・経験・思い出は、他人のものでしかないから、印象が強くてもすぐ忘れる。
比べて、自分の個人的な体験・経験・思い出は、そうそう忘れられるものではない。
逆に、忘れたくても忘れられない。
そこで強烈な体験をしていればなおさら。
自分が忘れられないものは、長期記憶になっている。
だから、長期記憶になっているものに、色々なものを紐付ければいい。
とっかかりを思い出せたら、他は全部論理で繋げていけばいい。
そうすれば、そもそも全体を暗記なり覚え込まずに済む。
そういうインデックス化の仕組みが、知恵ではなかろうか。
例えば、自分のプログラミングの原体験は、C言語・アセンブリ言語(x86系)・Java。
他のプログラミング言語は、それらからの±で覚えている。
データベースの原体験はOracle。
他のDBMSは、Oracleからの±で覚えている。
他の分野も、大抵はそんな感じで、何かのベースからの±および論理による紐付け。
長年生きていれば、いやでも体験は溜まっていく。
それすなわち、紐付けられるものが増えていくということ。
そういう観点からは、年を取るのも悪いことではないのかも。
それに、今なら知識はすぐに検索できる。
知識だけは大量に手に入る。
これだけの情報量を手軽に得られるのは、人類史上初めての状況のはず。
それらの知識の海に、素の人間が何も考えずに乗り出すと、迷うし溺れる。
だからこそ、羅針盤としてのキーワードが重要である。