予測

頭の中に浮かんだことを、言葉にしておかないとモヤモヤする。
本に書いてあることの受け売りではあるが。
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予測してあれば、それが起きた時に戸惑わないし、普通と同じ動き・判断ができる(ことが多い)。
予測していなければ、それが起きた時に戸惑って動揺し、普通とは違った動き・判断をしてしまう。

 

人間は、想定外のことに直面すると動揺する。
目の前のことが見えなくなる。
当たり前のことも分からなくなる。
そのくらい、通常とは違った精神状態になる。
自分も、想定外のことに直面するとそうなるから、よく分かる。
自分の人生を振り返ってみて、明らかに判断ミスをしたなという時は、大体そういう時。

 

だから、予測は超重要。
予測は、自分の経験からしてもいいし、他人の経験やセオリーを参考にするのも有効だと思う。
ごくオーソドックスなことから、かなり突拍子もないことまで、考えが及ぶ範囲で予測する。
自分を特別視せずに、客観的に自分なり状況なり環境を見て、どういうことが起きうるかを予測する。
ここで、予測したことが実際に起きるかどうかは、別の話。
だって、未来のことなんて、誰にも分からないから。

 

確率の話と言ってもいい。
そうなってくると、手元にある材料で予測するしかない。
数字にはしづらいだろうが、それでも予測したことは、可能性が高そう・まあまあ・低そう・まずないだろうくらいに分類したい。
起きる可能性が低そうなら、そういうこともあるかもね…と、気楽にのんびり構えておけばいい。
まあ、そういうことは、そうそう起こらないから。
逆に、起きそうなら手を打っておけばいいし、手を打てないのなら何らかの覚悟をしておくだけ。

 

心配し過ぎるというのは、一種の才能ではある。
色々と予測ができるということだから。
そういうスキルは、ないよりはある方がいいのではないかな。
でも、それぞれの心配事の発生可能性を考えず、心配事を単純に羅列するだけでは、そこから動けなくなる。
ぐるぐる同じ所を回るだけで、前に進んでいない状態になる。
その状況は、AIの領域で言うところの、フレーム問題と似ている。
それは、目の前にあることの重みづけをルール化することが難しい 、ということだと理解している。

 

ルールの一つとして、直感でどれだけ起こりそう、というのは、悪くはないと思う。
直感と考えなしのやぶれかぶれは、明確に違う。
直感には、その人の経験・歴史・価値判断基準・論理・暗黙知が、その裏にある。
それらがスパッと動いて状況を解釈した、というだけ。
そんな感じで直感したことを、後から振り返ってみると、結果的に正しかったということが多い。
話を聞いたり、状況を見て、なんとなく違和感があった時も、そんな感じ。
少なくとも、自分はそう。

 

と言っても、直感を全面的に信用してはいない。
結構間違うし。
それでも方向性を考える時には大事にしている。
すぐ動かなければならない時は、出来る範囲で予想はするが、直感をまず大事にして、自分で判断する。
自分で判断するということは、自分のしたことに自分が責任を取るということ。
そして、自分のしたことに、結果はどうあれ納得する、ということ。
自分で予測し、判断し、行動したのだから、後悔はしないし、してはいけない。
結果に対して、反省はするけれど後悔はしない。
大事な所で、他人に判断を委ねると、多分後悔する。
その結果に、自分が納得できないから。
納得できないことは、ずるずると引きずる。
ずっと忘れられない。
そういうのが積み重なると、がんじがらめになってしまって、動けなくなる。
でも、そういうのは自分の立ち方次第ではないのかな、とも思う。