クエストマーカー

ELDEN RINGを始めてしばらく経つ。
さすがにかなり進んだのだろうとは思っているが、それでも全体マップでの未探索なエリアの広さに愕然としているところだったりする。
今はアルター高原や王都外廓のあたりをうろうろしており、竜のツリーガード相手に連敗に連敗を重ねている最中だ。
アルター高原には、谷底の隠し村を経由して到達した。
大ルーンはゴドリックのものしか持っていない。
いろいろな所を真正面から正々堂々と突破してはおらず、走り抜けたりこっそりすり抜けるか、裏から回って到達するという手段を、結構な回数取っている。
だって、そういうところにいる敵は正面から戦うと強いんだもん。
直近だと、捨てられた棺の先にいた古竜ランサクスがそれだ。
だが、いずれ正攻法でそいつら全員を撃破するつもりではある。

ELDEN RINGで自分が最も好きな所は、指示をされないことだ。
具体的には、いわゆるクエストマーカーがないことだ。
もちろん、祝福の導きにより進むべき方向は大まかに示される。
だが、導きは大雑把な方角でしかなく、どこそこへ行けと具体的に示されてはいない。
だから、どこへ行くべきかやなぜ行くべきかは、自分で考え判断しなければならない。
ELDEN RINGは、この塩梅が絶妙だと感じた。
エストログもないので、どういう状況にあるのかは自分でメモしなければならないし、状況に変化があったかは誰も教えてくれないから、自分で確認しに行かなければならない。
それらの状況の分量は、すべてを覚えていられる量ではさすがにない。
そういう状況や、どこでどういうことが起きたか、さらにそれらの出来事に対して自分がどう対応しどう戦いどう感じどう考えたかを記録してあるメモは、結構な分量になってきている。
このメモが実に愛おしいのだ。

それに、今自分が進めている範囲では、進行を制限する要素はあまり出現していないし、そもそもシステムがプレイヤーの行動範囲を制限する仕組みがないか薄い。
つまり、行く場所をシステムから強制されてはいない。
これが大変気持ちいい。
例えば、自分はゴドリックを倒した後にリエーニエへ行かず、ケイリッドのほぼ全域を巡ってしまったのだが、その歩みをシステムに止められることは一切なかった。
ケイリッドで行けていない場所は、多分戦祭りの会場となるのであろう大きな砂浜と、超巨大な生壺が手を組んでその前に立っている闘技場らしきものの二箇所だけだ。
もちろんケイリッドの細かいところの攻略をすべて行えてはいない(魔法街サリアの封印された建物や各種魔術師塔などだ)。
それでもマップに書かれていたり現地へ行ってみて行けそうに見えた所へは、実際に全て行けており、見せかけだけではなかったのだ。

また、ゲーム開始直後の状態からアルター高原に直行するのは、どう行けばいいのか分かっていれば不可能ではないように思える。
まあ、最初のステータスや装備で、途中の経路で唯一絶対に倒さなければならない敵なのであろう溶岩土竜マカールに立ち向かえるかは、プレイヤーの腕次第ではある。
しかし、逆に言えば腕次第でしかないということだし、倒す人は倒すだろう。
ちなみに、普通はどういう風にゲームが進行するのかを自分は知らない。
ネタバレ防止のために、攻略サイトやプレイ動画、プレイログの類を一切見ていないからだ。
こんな状態の自分に言えるのは、ELDEN RINGはソウルシリーズ以上に自由な行動ができるゲームであり、かつ開発側がそういう自由な行動をすることを予測し許容してもいるゲームであるということだ。
これは結果的にそうなったのではなく、意図的にそうしているのがよく分かる。

これはまるで、ドラゴンクエスト3で船を手に入れた時のようだ。
例が古くて申し訳ないが、ELDEN RINGはDQ3と似ていると思う。
ゲームが中盤に入って船を手に入れ、バラモスを倒せという目的はあるが具体的にどうせよとは指示されていない状態になり、世界中を船でうろうろして色々なものを目にしているという、あの感じだ。
あるいは初期のWizardyとどことなく似ている。
迷宮と敵と罠付きの宝箱だけ与えられて、あとはお前が勝手に考えて遊べ、という世界だ。
そういう手探りで何かをやっている、というのが自分は好きなのだろう。

もちろん、システムから色々指示されるタイプのRPGも自分はやってはいる。
オープンワールドなゲームで言えば、OblivionSkyrimのElder Scrollシリーズ、Falloutシリーズなどだ。
なんだ、全部Bethesdaじゃないか。
それはともかく、これらはクエストマーカーが標準で出てくるタイプだ。
というか、今時のRPGはクエストマーカーがあるものばかりではないのか?
Oblivionをやった時は、クエストマーカーやクエストログは便利なものだと思った。
しかし、今は邪魔ものだなと思うだろう。
どこへ行けと言われると、地図上ですでにクエストマーカーがついている。
だから、その時までに得たゲーム内での知識を棚卸ししたり総動員して、どこに目的のブツがあるはず、ということを考えなくてもいい。
エストマーカーの場所へ行ってみると、ドア・宝箱・NPC・敵にクエストマーカーがご親切にもついている。
だから、クエストマーカーを追っていさえすれば至れり尽くせりな状態で進められる。

あのさ、そういうゲームの進め方の何が面白いんだ?
主人公が知らないはずのことをシステムが教えてくれることに、興覚めしないのか?
そんなところにあったのかとか、そういうことだったのかとか、ああやってしまったとか、そういった初回プレイ時にだけ得られる驚きを体験したくないのか?
エストマーカーはそういう体験を台無しにするものだ。

まあ、オープンワールドなゲームに何を求めているかにもよるだろう。
自分は単にストーリーを追いたいわけではないのだ。
決められたストーリーを追うだけなら、ゲームでなくてもいい。
というか、経過や結果が同じになるのなら、プレイしている時間がもったいない。
自分で判断をし行動をして、その結果がどうなるのか、どうなったのかを知りたいのだ。
その積み上げがそのゲームへの思い出になる。
ゲームに投入した時間と等価交換しているのは、思い出だ。
エストが中途半端な状態になっていて、それが後味の悪い結果になってもいい。
そんな状況になったのはすべて自分の判断であり、すべて自分の責任なのだから、その結果はすべて受け入れて先を続ける。
自分は、そういう風に判断や責任をプレイヤーに委ねるゲームが好きなのだろう。
そういう観点では、ELDEN RINGはすごくいい。
だからやり続けているし、最後まで、恐らくDLC込みでやり遂げるだろう。
ELDEN RINGはそういうやり続ける魅力のあるゲームだ。