だらだら

延々と、だらだらと話し続ける。
そういう話し方が大嫌いだ。
時間は万人に共通する唯一の資源であり、相手に時間を浪費させるのは犯罪だと言われる。
その意見には大いに納得するところが自分としてはある。

仕事以外で会話をすることが全然ないさみしい人生を自分は送っているので、どうしても仕事上の話の仕方になる。
仕事上の話では、相手が必ずいる。
そして、自分と相手との関係性も必ずあり、それぞれの仕事上での立場やミッションも必ず存在する。
仕事で話をする上では、それらを大前提として知っていなければならない
なぜなら、無駄な話をしないためだ。
無駄な話をしないことでお互いの時間を節約するためだ。

会話というのは実に伝達効率が悪い行為だ。
単位時間当たりの情報伝達量は少なく、伝達ミスも発生しやすく、伝わったかどうかは相手に確認してみないと分からない。
ACKが戻ってきたなら少しは安心できるが、それでも完全に伝わったとは保証されない。
会話はそもそも同期通信の類なので遅いのは当たり前なのだが、同期通信のくせに信頼度が低いとなればどうすればいいのやら、という感じだ。

会話の中で解釈の余地がある表現をするから、問題が発生するのではないか
そんなことを思わないではない。
YESかNO、数字だけで話せばすぐ終わるものを無理に言葉にして伝達しようとするから誤解が生まれるし、その言葉を伝達する時間が長くなる。
ニュアンスのようなものがあるのは分かるが、だからなんなんだ。
そういう言葉を聞き終わって、追加される情報量が事実上何もなく、またいたずらに誤解を招くだけのものだった時は、さすがにがっくり来る。

それに、会話すれば意図が相手に伝わる、ということは無条件には起きない。
相手が容易に逃げられない一対一の状態を作り、事実や論理で相手を囲い込んで初めて、言葉が伝わる可能性が出てくるのではないかと自分は思っている。
要は、何を会話の拠り所にするのかということだ。
自分の場合は拠り所にするのは論理やデータ、そもそもの仕事で達成すべき目標・目的であり、感情や気分では決してない。
仕事は感情や気分でやるものではないからだ。

例えば上位者が下位者に何かの評価や改善指示をする場面を想定する。
相手を傷つけないよう慎重にオブラートに包むようにして話すのは自分は好きではない。
なぜ率直に話せないのか。
すべてをあくまで事実ベースで端的に話し、認識に相違がないことを確認し、改善案を提示させるか相談する。
そういう風に徹底的にドライに振る舞う・扱う方がいいのではないかと思わないではない。
ただし、やるなら全員に対して同じように振る舞わなければならない。

だんだん何を言わんとしているのか自分でも分からなくなってきた。
なので何かを言わんとしてはいるのであろうこの文章は、いつものごとく失敗の類である。
結局何が言いたいのかと思われるのかだが、端的に話す・書くというのはいつも意識したいよね、ということではなかろうか。
端的というのは、伝えるべきことを自分の都合や立場で短くして自分勝手な何かに変換する行為ではない。
相手の都合なり立場を意識して、相手にどんな最小限の情報を与えれば相手がミッションを行う上で一番いい状態になるのかを意識し、その実現に向けた働きかけの総体が端的に話したり書いたりするということだ。
自分はそういう割に長文を書いているので全然駄目なのだが。